最近、仏教を学びたいというパーソナルレッスンを申し込まれた20代の女性と、
メールでもやり取りをしています。
メールでのやり取りしかしていませんが、文章を読んでいても、
非常に真面目な方だということがよくわかる方です。
真面目なあまり自分自身の言動でも許せないことも少なくないそうで、生き辛いことが多いと言われていました。
心のキャパシティを越えない範囲ではありますが、
生き辛いことは、必ずしも悪いことばかりではないと思っています。
人に優しい人って、多くの方は、非常に苦労された経験がある方が多い様に感じています。
ですから、生き辛いということは、
それだけ多くの苦労をしていることでもあるので、
これからますます輝かれる方だろうなと思いながら、やり取りしています。
どんなことでもそうですが、苦労していないと、通り一遍なことしかできません。
文章、絵、話など、味がないものしか生まれてこないと思います。
ですから、その苦労は、今は大変であっても、
必ず報われる苦労であり、やがては華を咲かせると思います。
こう思う様になったのも、
まいたタネは必ず生えるという仏教の根幹である、
因果の道理を聞くようになってからでした。
無駄になる苦労は何もなく、
やがて春が来て、芽吹くように、その努力が報われるとき来ます。
苦労が報われないことがあるではないかと思われる方もあるかもしれないですが、
それは自分自身でそう決めつけているだけではないでしょうか。
未来なんてどうなるか、わかりませんが、
同じ時間を過ごすのであれば、
報われない苦労と我慢してやるのと、
やがて綺麗な華を咲かせるとウキウキ思うのと、
どちらがいいでしょうか。
精神衛生上も、後者ではないかと思います。
実際に、やった苦労は、無駄になりません。
もし無駄になっていると感じるのであれば、
それは、ただ活かす機会に恵まれていないだけです。
私自身は、無駄になったことって、1つもないです。
これは、些細なことでも、必ず活かそうと思っているところも多くあると思います。
そんなくだらないことをやって、何の意味があると、
理解を示されなかったこともありますが、
くだらないかどうか、意味がないかどうかは、
私が決めるのであって、人にとやかく言われる筋合いはないとも思っています。
ですから、生き辛いと思われる今は、
種をまいていると思って、
前向きに捉えてもらいたいなと思います。
ただ、溜め込みすぎると、ポキリと折れてしまうので、
その点だけは皆さんも気をつけて頂きたいと思います。