「火の7日間」が、1000年前に起きたことが原因で、世界が腐海に覆われ、人間が住める土地が次々と失われて言っていることが描かれています。なぜその「火の7日間」という事件が起きたのか、その理由を以下のように説明されています。
ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は 数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。 大地の富をうばいとり大気をけがし、 生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は 1000年後に絶頂期に達しやがて急激な衰退 をむかえることになった。
それからの世界については
『火の7日間』と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質 をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系 は失われ地表のほとんどは不毛の地と化したのである。 その後産業文明は再建されることなく 永い黄昏の時代を人類は生きることになった。
と説明されています。
ナウシカ達の住む世界は、まさに死と隣合わせの環境です。風の谷という土地の名前も、海から吹く風によって、腐海の瘴気から守られています。しかし、それも、何かのことで風向きが変われば、ものの5分で、そこにいる人間の命が散ってしまいます。そんな腐海は、今もなお拡大しており、いつ腐海に覆われるかわからないという死の不安が、谷に住む人達の日常には潜んでいます。
そんな恐ろしい状況でありますが、ナウシカは、たくましく、慈悲深く生を送っています。それは、人は必ず死ぬということを、強く意識されているからではないでしょうか。
最後かもしれないと思うからこそ
茶道の世界にある言葉に「一期一会」というものがあります。「一期」とは、生まれてから死ぬまでの間である一生のことです。「一会」とは、一回の出会いということです。今、この様に茶を交わしているのも、これが一生に一度の最初で最後かもしれないと思えば、相手に対して、礼を尽くします。最後の思い出が喧嘩であったならば、誰しも、辛いものです。だからこそ、最初で最後のお茶会というつもりで、少しでも相手に喜んでもらいたいと思い、行動します。
死を忘れるな
逆に「死」が抜け落ちると、恐ろしいことになります。命が自由に取り扱えるようになると、本当に恐ろしいことを平気でします。ゲームばかりしている子どもが、死ということを軽く思い、「リセットボタン」を押せば、またも復活するというものと思っている子供もあります。海には、魚の切り身がそのままの形で海で泳いでいると思っている子もあります。さまざま豊かになり、便利にはなりましたが、人間らしい精神が危機に瀕していると言われる状態になってしまっています。
人間らしい精神とは?
この人間らしい精神とは、パスカルが「人間は考える葦である」と言っていますように、「考える」ことです。この考えるといっても、さまざまな考えるがあります。動物でも、どうすれば、食べ物にありつけるか、メスの気をひけるのか、身の安全を守れるか、これらの事を考えます。しかし、ここでパスカルが言っている考えるとは、「人は何のために生きるのか」ということです。これを考えることが、人間が人間である所以といっています。死を見つめねば、真面目に生が考えられず、「なぜ生きる」ということは、決して問題にもなりません。仏教ではその、人間が人間らしい生を送る上で、もっとも大切な、「なぜ生きる」の大問題を教えられています。
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