人のためと思ってやっても、本当にこれって、人のためになっているのか?

パーソナルレッスンをしている方から受けた質問について、多くの人に共通した悩みであると思いましたので、書いていきたいと思います。受けた質問は以下の様な質問です。

人が喜ぶだろうと思って善い行いをした(つもり)が、独りよがりで押しつけがましい行動でになっていないか、不安になります。中には善かれと思ってやったことが、裏目に出てしまうこともあるのではないかと考えると、何がいい事なのかがわからなくなってしまいますが、仏教ではどのように教えられていますか?
相手のためを思って、行動することは大変素晴らしいことです。それによってどういう結果になるかは、実行する前にはわからないものであり、どんなことにも言えますが、思い通りになることばかりではありません。思ってもみなかった結果になったということは、私達の日常ではいたるところで見受けられます。それを踏まえた上で、仏教ではどのように教えられているかを、書いていきたいと思います。
 仏教では行いにも3通りあると教えられています。仏教の専門用語でいうと、これを「三業(さんごう)」と言われます。「業」とは、卒業の業の字を書きますが、仏教では「ごう」と読みます。昔のインドの言葉では「カルマ」といい、昔の中国の言葉では「業」。日本の言葉に直すと「行い」のことです。ですから、三業とは、3つの行いということです。この3つとは何かと言いますと、心、口、体の行いの3つです。それぞれ「意業(心の行い)」「口業(口の行い)」「身業(体の行い)」の3つです。意業、心の行いとは、私達が色々と思ったり、考えたりすることを言います。口業とは話をすること、身業とは体の動作です。
中でも、仏教は、心の行いを重視します。これは、心で思っていることが、口や体に表れるからです。嬉しいことがあると、心がウキウキしますが、それが、表情に表れたり、声に表れたりしている人はよくあります。事情は知らなくても、そういう人を見ていると、「何か良いことがあったんだろうな」と感じます。逆に、表情が険しい、口調がいつもよりも厳しい人を見ると、「何か嫌なことがあったのかな」と思います。また、「そうだ、京都へ行こう!」と思うから、体を動かして、京都へ向かいます。京都へ行ってから、「京都へ行きたい」と心が思うことはありません。まず心が思い、それが、口や体に表れます。
ですから、心で、相手のためを思うことも、これも善い行いです。そういう行いをすればしただけ、やった人が恵まれてきます。逆にそういうことをしない人は、人やモノ、カネもついてはきません。その上で、実際に行動を起こす、これは体の行いです。ここで仮に相手の人が喜ばず、気分を害してしまったとします。では、この相手のことを思ってやった行いは、どうなるかというと、無駄にはなりません。心では相手のことを思っていますから、それは善い行いです。体の行いとしては、相手に喜んでもらえなかったという点では、反省が必要です。どうすれば、相手に喜んでもらえるのか、それを考える反省は大切なことであり、これを続けていけば、日々、向上ができます。この様にして、善い種まきを続けていくことが大切です。
しかし、この様に書くと、中に誤解したり、得手に解釈する人がいます。
「じゃあ、自分が善かれと思ってやれば何でもいいのだな」、
「あなたのためを思ってやったとすれば、何をやっても許されるのだな」、など。
これは大変な誤解です。あくまでも、相手に喜んでもらいたいという気持ちがあって、どうすれば、喜んでもらえるのかということを考えた上でやることが大切であって、それを、言葉尻りだけを取って、相手のことを考える必要はないと理解される方があります。しかし、これは大変な間違えです。この点は気をつけて頂きたいと思います。
仏教の言葉に「於因説果」という言葉があります。「因に於て、果を説く」ということです。個々で言われている因とは、行いのことです。行いから、結果を説くということです。私達は、結果で物事を判断しますが、仏教では、行い、因を重視しています。やがて結果を生み出すからです。そのタイミングはいつかは、私達にはわかりません。ですから、実行の大切さを、この様にも教えられています。
この様な、日頃の悩みを、仏教ではどの様に教えられるのか、「パーソナルレッスン」では、具体的に話をしています。関心のある方はどなたでもお問い合わせ下さい。詳しくは以下のページをご覧ください。
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