自分も知らない本当の私とは。ブッダが明かす「幸せになる為の自分探し」(後編)

本当の私を知るには?

そんな中で、どうすれば、正しく自分の姿を知ることができるのでしょうか。もし正しく見れなければ、本当の幸せにはなれません。丁度、病気の原因を的確にわかっていないために、根本治療ができないようなものです。多少は症状が緩和されることがあっても、それはあくまでも、その場での対処であって、またぶり返してしまいます。ですから、正しく自分を知ることが大切です。

その時に、どうすれば本当の私を知ることができるのか。それは、「仏教」を聞くことで、わかります。なぜ、仏教?と思われる方もあるかもしれませんが、仏教ほど、我々のありのままの姿を詳しく教えられたものはありません。人工知能の父と言われるマービン・ミンスキー教授は「仏典は比類なきテキストである」と言われていました。他の心理学や宗教などと比べて、仏典ほど、人間の本質を教えられているものはないという意味です。

実際に仏教の言葉にも、

「仏道を習うは自己を習うなり」
「よもすがら 仏の道にいりぬれば 我が心にぞ たずね入りぬる」

とあります。これからも、仏教に人間の本質、本当の私が教えられていることがわかります。

ですから、お釈迦様は、仏教のことを、法鏡とも言われています。仏教では法とは、いつでもどこでも変わらないもののことです。いつでもどこでも変わらない、人間のありのままの姿を教えられたものが仏教ですので、仏教のことを、法鏡と言われます。これはまた、仏教を学ぶことで、私の姿が知らされてくるので、鏡と言われています。

本当の私の姿とは?

では仏教にはどの様に教えられているかと言いますと、煩悩具足の凡夫と教えられています。凡夫とは、人間のこと、具足とは、かたまりということです。ですから、仏教では人間のすがたを、煩悩のかたまりだと教えられています。煩悩に目鼻をつけたようなものが人間であるということです。煩悩とは、私達を煩わせ、悩ませるものであり、恐ろしい悪をつくっていると教えられています。自分の欲を満たすためならば、心の中で、「あの人がいなければ、この人がいなければ、あいつが失敗したら、こいつが死ねば」と恐ろしいことを思っています。遺産相続で兄弟や親戚同士が骨肉相食む争いが起きるのも、この欲のためです。他にも、保険金殺人も金に目がくらんだ欲の引き起こす惨劇です。また、ねたみそねみの心で、人の不幸を喜ぶ心があります。大雨や地震、台風などで、災害にあっている人の映像を見ていても、「かわいそうに」と思いながらも、自分でなくてよかったとホッとする心はないでしょうか。夜も安心して寝れない人がいる中で、自分はぐっすりと寝れるのも、本当には人の不幸に心を痛めていない証拠ではないでしょうか。

あげればキリがありませんが、そんな恐ろしい醜い心を抱えている私達の実態を明らかにされた上で、お釈迦様はそんな私達が、果たさなければならない大事な目的がある、それ果たすまではどんなことがあっても、生き抜かねばならないと教えていかれました。

ではそれは何なのか、ぜひ仏教を学んで頂きたいと思います。

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