なぜ日本の僧侶は結婚をしているのか。これがわかれば、仏教がわかります。(中編)

仏道を習うは自己を習うなり

仏教で修行を勧められていますが、それを実行していくと、どんな事が知らされてくるのかというと、己の心の姿が知らされてきます。

ちょうどスポーツでも、最初は練習から始まり、様々な技を覚えていきますが、ある程度までいくと、最高のパフォーマンスをするには、自分自身のメンタル状態が問題になります。
「ルーティーン」というものがあります。イチロー選手が打席に立つまでに決まった仕草をしていましたが、あのことですね。
あれは、高いパフォーマンスを発揮できるメンタルに整えるために、なされています。何事も極めていこうとすると、目がいくところは、己の心ではないでしょうか。

仏道修行でも、口や体の行いも、問題にされますが、ある程度修行を重ねていけば、口や体の行いが所謂修行者のものになります。ですが、仏道修行が厳しいもの、簡単ではないと言われるのは、そこから、己の心が問題にされるからです。

心が火の元で、口や体が火の粉

世間のことでも、心を重視されることはよくありますが、仏教は特に心を重視されるのですが、その理由は、心がすべての元だからです。
私達は、口で何かをしゃべったり、体で何かをやったりしていますが、これらの起点は心です。心で思ったことが、口や体に表れます。何かを話をするときも、自分が「これを言おう」と思ったことを、口にします。また、「〇〇へ行こう」と思ったところに、体を運びます。相手の言動を見ていると、相手の心の状態がわかることはないでしょうか。どこかウキウキしていれば、何かいいことがあったのかな、とわかりますし、嫌い!という気持ちがあると、そういう相手への言葉遣いがきつくなったり、態度に表れることはないでしょうか。ですから、心が元で、口や体に表れるので、仏教では心を最も重視されます。

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