『ジブリの原点「風の谷のナウシカ」に学ぶ、人類の幸福とは?』(前編)

その『風の谷のナウシカ』は、私たちに、どんなメッセージを送っているのか、そこを掘り下げていきます。
現代の私たちにとっても非常に大切なことが色々と教えられています。
仏教の観点から見たナウシカを通して、仏教の教えについて迫っていきたいと思います。

『風の谷のナウシカ』は1984年に公開されました。
この時は、実はジブリとは別の制作会社で作成された作品ですが、その制作スタッフが、そのままジブリに移ったこともあり、今ではスタジオ・ジブリの代表作となっています。
そんなナウシカの世界は、現代科学がもっと進んだ世界が実は舞台となっています。
「火の七日間」と呼ばれる事件によって、人類の文明が壊滅してしまってから1000年後の世界が、ナウシカたちが生きている時代でした。
その「火の七日間」によって、文明が破壊され、そして、その土地に腐海が広がり、人間が住めるところがどんどん少なくなっていきました。
その腐海には人間に有毒な胞子に覆われ「蟲」と呼ばれる存在が、住み着いています。
時間と共に、腐海がどんどん侵食し、人間が住める土地が減り続けています。
そういう世界に生きるナウシカの話です。
今回は、その中で、2つの点を掘り下げて、ナウシカを通して、仏教の教えを学んでいきたいと思います。

欲によって破滅する

科学の進歩が人類の幸せと思われていましたが、ナウシカでも描かれていますが、豊かになり、便利になっても、人間が幸せになれるかというと、残念ながらそうではありません。
「メーヴェ」など、現代科学でも実現は難しいものが生み出されていることからも、現代の私たちよりももっともっと科学が進んだ世界が「火の七日間」が起きた時代でした。
しかし、科学が生み出した結果は、文明の破滅でありました。
ではなぜ科学が発達しても幸せにはなれないのか、それは、その科学を取り扱う人間に目を向けると、その答えが見えてきます。
仏教では、私たち人間のことを、「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と教えられています。
煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませ、苦しめるものです。
具足とは、塊ということです。
凡夫とは、我々、人間のことです。
ですから、煩悩具足の凡夫とは、人間は、煩悩の塊であるということです。
この煩悩は全部で108つあり、108の煩悩とも言われますが、中でも代表的なものが、「貪欲(とんよく)」です。一般的には「どんよく」と読みますが、仏教では「とんよく」と読みます。
この貪欲とは、底の知れない欲の心です。この欲というものは、「満たされなければ渇き、満たせば2倍の度をまして渇く」とも言われ、満たしても満たしても、決して満足したという事がないものです。
お腹一杯食べれば、満腹ということが言われますが、それも時間が経てば、またお腹が空くように、欲が完全に満たされたということは決してありません。
ですから、科学が進歩して、便利になっても、残念ながら、私たちは、これで満足ということはありません。便利になったなと思っても、また時間が経てば、不満が出てきます。
遠くにいる人と意思の疎通がしたいと、狼煙が生まれ、そして、手紙が生まれ、電話、インターネットと、どんどん進歩していっています。今では、地球の裏側にいる人と、リアルタイムで、ビデオ通話ができるようになりました。そして、この進歩はまだまだ続き、現在は、顔だけではなく、電脳世界を作って、その世界で本当に人と接している様にリアルに交流できる様にと、研究が進められています。
遠くにいる人と話がしたいという願いで、大変科学が進歩しましたが、そのインターネットの発達によって、人類が幸せになったのか、私が幸せになったのか、これを考えると、素直に頷けない出来事が様々起きています。
昔は、なかなかやり取りができず、歯痒い思い、淋しい思いをしていましたが、現在は、24時間どこへ行っても、誰とでもコミュニケーションが取れるようになりました。すると、寂しさが減ったものの、常に誰かとつながっていることで、気が緩められる時間がめっきり減って、疲れてしまっている人も増えています。
また、見ず知らずの人と、交流することができる様になったことは、悪いことではありませんが、それによって、傷つけられ、時には自ら命を断つという悲しい事件が起きています。
芸能人が、インターネットに様々なことが書かれ、心のない言葉に深く傷づいています。
冷たい言葉を浴びせられることだけでも、苦しいものですが、欲の恐ろしさは、こんな事では終わりません。

「満たしても満たしても満足できない。」欲の実態

欲は満たせば満たすほど、もっともっとという心が大きくなります。
金持ちになっても、これで満足ということはありません。
小学生のときは、100円玉を一枚、駄菓子屋さんに持っていき、駄菓子を選んでいるだけでも、幸せを感じていました。
1000円もあれば、小学生ならば大金持ちです。
それが、中学や高校にあがればどうでしょう。満足に友達と出かけることもできませんので、1000円では足らなくなってきます。
1万円あれば、楽しく過ごすことができるでしょうが、大学生になれば、社会人になればと大きくなっていくと、どれだけお金があっても、足らなくなっていきます。
しかも、お金は求めれば求めるほど、金に執着し、自分が儲けられるならば、何でも考えます。普通の生活を送っていれば、あまり税金のことを考えることはないかもしれませんが、金持ちになると、少しでも税金を減らしたいと、「タックスヘイブン」と言われるような、税金がかからないところに自分のお金を集めたり、会社を設立して、税金対策として、様々な投資をしたりします。
そのまま欲に目がくらんでいくと、親であれ、兄弟であれ、子供であれ、恩人に対してでも、自分の欲の為ならば、どんな恐ろしいことでも考えます。
表には出さなくても、自分にとって都合が悪い人が現れると、「いなくなってしまえばいいのに(死んでしまえばいいのに)」と心に思い浮かんだ経験はないでしょうか。この残虐な心も根っこにあるのは、この貪欲です。そして、この残虐性は欲が満たされば満たされるほど、表に出てきます。
そんな恐ろしいものが欲ですから、科学が進歩していき、末路が破滅なのは、欲の行きつく先が、自分さえよければそれでいいという「我利我利(がりがり)」です。
「我利我利」とは、仏教の言葉で、自分の利益、自分の幸せしか考えていない、他人のことなんてどうだっていいという欲の本性です。
互いに自分のことを優先にしますので、それではやがては争いになり、破滅の末路となってしまいます。
ナウシカの世界で荒廃が進み、腐海が世界を覆っているのは、この人間の欲の末路の表れかもしれません。

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