ライバルはアマゾン、Netflix。7つの習慣から浮かび上がる仏教思想

関係ないことはなにもない

貨幣経済の社会の中で、生きていくためには必ずお金が必要です。

ですから、お金を稼ぐことを考えることは、大切なことであります。

しかし、仏教を学んでも、お金にならないというのは、
非常に近視眼的な見方であり、これからの社会においては、
通用しない考え方です。

この考え方を捨てられなければ、遠くない将来に、
仕事を失うか、苦労している割には、
もらえるものが少ないということになってしまいます。

そもそもお金とはどういうことかを、理解していないという問題点もありますが、
これは次回以降に回したいと思います。

舞台は世界、ライバルはアマゾン、Netflix

インターネットが普及する前は、様々な制約の中で、仕事がなされていました。

時間的制約、場所的制約があり、業界によっても、分断があり、
それらの小さなフィールドでの戦いでした。

言い方は悪いですが、
その小さなフィールド内でさえ、上位にいればよかったので、
競争はそこまで激しくありませんでした。

しかし、インターネットの普及、
運輸のシステムがしっかりとなされることで、
戦いのフィールドは、一気に世界へと広がっていきました。

今や、町中の商店といっても、ライバルはアマゾンです。
娯楽施設であれば、Netflixといっても過言ではありません。

資金力も、ブランド力も、技術力も一個人では、到底敵わないと思われる相手が、
私達の社会では戦い相手です。

これをまず理解しなければなりません。

そうした時に、ただ同じ土俵で戦ったところで、絶対に敵わないません。

そうなった時に、今までとは異なる視点、
異なる切り口で攻め込まなければなりません。

新たな切り口は、違う業界にヒントが隠されている

一例をあげれば、

「書籍の全文無料公開」は、出版社からすれば、

随分と長い間、批難をされることでした。

こんなことをしていては、本を買う人が減ってしまうという思いからでした。

これをされた方で有名な方は、キングコング西野さんです。

なぜ絵本の全文公開にされたかというと、

①紙の本を手元に持っておきたいというニーズは一定数ある
②お金を受け取るタイミングを後ろにズラす

と言われていました。

①はそのままですので、②についてだけ書きます。

本は購入しないと中身が分からず、
内容的にハズレであっても、すでにお金が支払われているので、
ある程度の利益は得られます。

しかし、これでは、消費者には優しくありません。
ハズレだと思われれば、また、それを購入しようとは思わないでしょう。

特に絵本は、子供に繰り返し読み聞かせる内容ですから、
内容の吟味が大切であるということで、全文公開に踏み切ったそうです。

では、この発想は西野さんの奇抜な発想かと言えば、
別のところでは当たり前になされていることです。
たとえば、テレビドラマやテレビアニメのDVD販売もこれにあたります。

固定概念にとらわれて、物事を表面的に捉えていては、
こんな発想は出てこないのではないでしょうか。

ですから、世の中には、沢山のヒントが転がっているわけであり、
そこから学び取れることは多くあるわけです。

宗教を学ぶことは、ルールを学ぶこと

特に宗教は、世界の人々の生き方に深く根ざしているものですから、それを知らないというのは、前回も書きましたが、
将棋のルールを知らずに将棋を指すようなものです。

基本的なルールも知らなければ、戦いにもなりませんし、
そこから学び取れることが沢山あるにも関わらず、
学ばないのは、これからの社会での戦いの放棄といっても過言ではありません。

そんなことでは、お金を稼ぐことができなくなる日がすぐに訪れてしまいます。

本当にお金を稼げる人は、どんなことからも学び取り、
それらからヒントを得て、自分の人生に取り入れる力のある人です。

特に仏教は、ビジネスの世界でも通じることも学び取れます。

7つの習慣にも通ずる仏教思想

世界でもっとも有名な「7つの習慣」という本の内容も、
1つ1つの習慣を掘り下げていくと、どれも仏教の教えに通じて、すべて説明ができるものばかりです。

7つの習慣は考え方を書かれているので、
実行には、自分の人生に落とし込むための作業が必要になりますが、
その点、仏教は、私達の人生に深く根ざした形で教えられている為、
どの様なことを実行していけばいいのかを、より具体的に考えることができます。

特に、7つの習慣の中の、第2の習慣である、

「Begin with the end in mind」

というものがあります。

これは「終わりを思い描くことから始める」というタイトル(完訳版)についています。
これは、他の習慣にも通じる非常に大切なものであります。

まず、終わり、最終的なゴールを定めてから始めなければなりませんが、
では、その最終的なゴールと呼ぶことができるものは、どういうものか、定義がはっきりしなければ、それを定めることもできません。

その点、仏教では、この最終的なゴール、目的を説かれた上で、なぜそれがその様に言えるのかが説明されています。

仏教で教えられる本当のゴールを知った上で、
それをどう思われるかは、自由ですが、
どの様にそれを示されているのか、教えられているかを、
学ぶだけでも、非常に多くのことを学ぶことができるのではないでしょうか。

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